e-Japan構想は、自身は情報通信に疎かった森首相が演説で「IT」を「イット」と連呼したことや、大失敗に終わった「インターネット博覧会 (インパク)」などで揶揄されることが多い。だが、それでもe-Japan構想のおかげで、高度情報通信ネットワーク社会形成基本法(IT基本法)が制定され、日本はブロードバンド大国へと進み出した。
このとき、当然のことながらe-Japan構想関連の予算枠が準備された。各官庁は、この予算を取るためにさまざまな構想を打ち出した。そのなかで科学技術庁が提出したのが「超高速インターネット衛星」だったのである。
衛星構想の検討に当たったのは当時の宇宙開発事業団(NASDA)筑波宇宙センターだった。筑波には「なんでもいいからe-Japanの予算が取れる衛星を至急考えろ」という指令が下ったという。
「きずな」は考え抜いた末に出てきた構想ではなかった。エンドユーザーにどのような利便を提供するか、そのためにどのような技術を開発する必要があるかといったことをすっ飛ばし、首相の所信表明演説で突如発生した予算バブルのなか、「なんでもいいから予算を取れ」ということで大急ぎでつくられた衛星計画だったのである。
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まぁその程度のことでしょうよ。